[カテゴリー:問答の観点からの認識]
このカテゴリーでは97回あたりから、<命名と定義に依拠して、問いに対する答えの真理性を正当化する>ということを考えており、命名や定義のための宣言や、その宣言を答えとする問答の成立を説明するために、規則遵守問題を論じると予告していたのですが、その前に、「(記述の発話に限らず)発話一般に関して、発話の意味理解や真理性や適切性が、命名や定義にどのように依拠するのか」を考察しておきたいと思います。
#まず次の二つの例を考えてみます。
「これは赤い」
「水を持ってきてください」
「これは赤い」の場合:この発話の意味の理解は、「赤い」の定義に基づきますが、それだけでなく、真偽の判定も、定義の時の対象と現在の対象との類似性と、推論規則に依拠します。
「水を持ってきてください」の場合:この発話の意味の理解もまた、語「水」や「持ってくる」という語の理解に基づくので、それらの学習過程、さらに遡ってそれらの定義に基づきます。さて、この依頼の発話は、真理値は持ちませんが適不適の区別を持ちます。この適不適の区別は、語「水」や「持ってくる」の定義には依拠しないのでしょうか(そこが「これは赤い」との違いなのでしょうか)。
それとも、発話の適切性もまた、それに含まれる語の定義に依拠するのでしょうか。
この点をもう少し分析したいと思います。